目を研ぐ〜写美のこと〜

写真美術館に行って来た。


北井一夫 いつか見た風景」

学生闘争や成田闘争などを内側から写した初期作品からの回顧展。
継続する緊張感を感じる作品は見応えがあった。
一方で日常的な風景作品もあり、時間と共に変わる作家の視点がはっきり見えていて面白い。


「この世界とわたしのどこか 日本の新進作家vol.11 」
写美が推す若手作家の作品を紹介するシリーズ。これがいつも面白い。
大塚千野は幼い自分の写真に現在の自分の姿を重ねる。
言いようのないノスタルジーが滲んでいて良かった。


そんな中、現代の中国で増加し続ける性同一性障害
ドラァグクイーンとして生きている人々の姿を映した菊池智子の作品はぐっときた。
悲しくも美しい姿に中国の今を垣間見た気がした。


「映像をめぐる冒険vol.5 記録は可能か。」
ドキュメンタリー映像にスポットを当てた企画。
作家はその対象となる事件や現象を、様々な技法や工夫を凝らして時間ごと切り取る。
技術の進歩と共に誰もがドキュメンタリー作家となれる時代、記録するという意味を問いかけられた気がした。


写美に来ると、否応なく時間というものを意識することになる。
時間を意識するということは、世界の有限性を意味するわけで、外に出ると少し視界が変わる。
写真はいわば砥石のようなものかもしれない。
自分の目を研ぐ。その目はしばらくするとまた鋭さを無くし曇る。
見るということは、難しいものなのである。