情熱と哀切〜智恵子のこと〜

津村節子 著 「智恵子飛ぶ」 を読んだ。


日本人なら学生時代にイヤでもふれる詩がある。
高村光太郎の「智恵子抄」である。
智恵子は東京に空が無いといふ、のあれだ。いやなんです、あなたのいってしまふのが、のあれだ。
詩は知っていても、肝心の智恵子本人の人生を知っている人は案外少ないのではないだろうか。
私もそうだった。


福島の裕福な酒造家に生まれた智恵子は、聡明で天真爛漫な少女時代を過ごす。
女性の教育は不要という世相の中で、日本女子大学に入学することになる。
そこで油絵に目覚め、平塚らいてうらと新しい女性の象徴として注目される人物となる。


そして高村光太郎と出会うことになる。
男として芸術家として魅かれた智恵子は光太郎と一緒になることを決意。
当時としてはエッジの効いた2人のことである。籍は入れない、子供は産まない、切磋琢磨し合いながら芸術に生きることを誓う。
だが、智恵子は自分の才能の限界を感じるようになり、貧乏と闘い、病気と闘うことになっていく。。。


前半は情熱的でキラキラした智恵子が描かれる。
後半は疲弊し、精神を病み、やがて智恵子が智恵子でなくなっていく姿が描かれている。
とにかく切ない。
光太郎の「ちゑさん、ちゑさん」と呼ぶ声に応えない智恵子の姿。
たまらない。


作者の津村節子は、同じく作家の吉村昭の妻でもある。
智恵子と同じように芸術家同士というわけだ。
職人のような作家である吉村昭を目の前に、きっと津村節子も苦しんだことがあったのではないか。
だからこそ、智恵子の心に迫ることができたのだろうと思う。


高村智恵子は情熱、このひとことにつきる。
これを生きるというのだろう。
安穏とした人生に疑問を感じているのなら、女・高村智恵子の生き様を見てみてはどうだろうか。


智恵子飛ぶ (講談社文庫)

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