強さのこと〜あの事件のこと〜

光市母子殺人事件の被告人、大月(旧姓・福田)孝行被告の死刑判決が決まった。


少年犯罪、死刑制度、厳罰化、被害者遺族の権利、報道のあり方、いろんな問題がこの事件によって浮かび上がった。
それ以上に私はの関心は被害者遺族であり、被害者遺族の権利を主張し、裁判の在り方を変えた木村さんの強さに感心を持った。
同年代ということも大きい。


木村さんの戦いの歴史を知るには「なぜ君は絶望と闘えたのか」という本を読むと良い。
ページをめくる手が止まるほどに、その内容は峻烈だった。
そして絶望と闘く木村さんと支える人たちの姿が描かれている。


私だったらきっと絶望に、あるいは憎しみに飲みこまれていると思う。
そういった暗い穴を彼が飛び越えられたのは殺された家族への愛があったからだ。
それほどに愛した家族を奪われる無念さ。
そのループを考えているとドンドン落ちていく。



彼はそれでも戦い続ける。
裁判に遺影さえ持ち込めなかった状態から、被害者参加制度ができるようになったのだから凄いことなのだ。
そこまでの長く険しい道のりを強い意志をもって進んでいく姿は鬼気迫るものがある。
強さ、と簡単に言ってはいけないのかもしれない。そうするしかなかったのかもしれない。
それでも私は彼の中に強さを見出したわけである。
そして自分の中にある弱さを見た気がした。


木村さんが望んだ死刑という判決を得たわけだが、
「満足しているが、うれしいとかはない」と会見していた。
そうだろう。死刑が執行されても亡くなった人は帰ってこない。
そればかりか、死刑を求めたという意識はきっといつまでもの残るだろう。
彼の戦いは死ぬまで続くのだ。


今は再婚されているので、これからは静かに幸せな生活を送ってほしいと切に願う。
そしてこのような事件が二度と起きないでほしい。


なぜ君は絶望と闘えたのか

なぜ君は絶望と闘えたのか