エゴをもってエゴを描く〜「こころ」のこと〜

夏目漱石 著 「こころ」 を読んだ。


日本人であるならば、学生の頃になんらかの形で「こころ」を断片的にでも読んでいるだろう。
しかし全部読んだことある人はどれくらいいるのだろう。私も今まで未読だった。


私と先生が出会うところから物語は始まる。
この出会いもそして私と先生の関係も実に不思議で、いや不思議というか不自然といってもいい。
そこからくる不安の予感めいたものが、読んでいてじわりじわりと広がってくる。


先生は私にも、奥さんにも、世間に対しても何かを隠し、そして諦め、心を開かない。
その答えは第三章、作品の大部分を占める帰省中うの私の元に送られてきた先生の独白調の遺書で明らかになる。


先生が学生の頃にまで話は遡る。
先生は友人であるKを出し抜き、現在の妻である人と結婚の約束を交わしてしまう。
Kが先生にその人を好きだという告白を聞いた翌日にである。
そしてKは何も言わずに首を切って自殺する。
以来、先生は自責の念にとらわれ、そしてこの遺書を書いたあとに自らも死んでしまったというわけだ。


現在の私たちにとっては、それこそ”小説のような話”といった携帯小説のようなストーリーだ。
だがそのストーリーの中に漱石は人間を丁寧に、ある意味残酷なほどに描いている。
徹底的な自我とエゴ、そして弱さ。
”こころ”だ。


夜の湖をイメージさせる静謐な暗さ。
その闇に居心地の良さを感じる読者も多いのではないだろうか。
きっとその人は強い自我をもち、その自我を嫌悪する部分があるのだと思う。
この私もそうだった。
共犯者になったような気分である。


決して読後感は良いものではない。
しかしこのくすぐったい共感はなんだろう。
約100年前に書かれた作品なのに、だ。


結局人間は変わることのない業を背負っているということか。
今までもこれからも、この作品は読まれていくのだろう。
学生の頃にストーリーをなぞって、なんだこのしょうもない話はと思った人も多いはず。
しかし、歳を重ねると見えなかったものも見えてくることもある。


日本の近代文学の金字塔。
再びその世界に触れてみてはいかがだろうか。


こころ (新潮文庫)

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