真実は見えてくるのか〜サブカルと社会のこと〜
私と同い年の批評家。主にアニメや特撮といったサブカルチャーからドラマや文芸まで幅広く取り上げて注目されている。
三年前に出版されたものが文庫化されるにあたり、3・11をふまえてあらたに原稿が追加されている。
それまでの批評を時代遅れとして、2000年以降のサブカルチャーの変遷を分析し社会の在り方を説いているわけだが、
こういった批評本を批評することはなかなか難しい。
著者の考察はとても面白い。
大きな物語の崩壊、つまり国家や歴史といったものがアイデンティティのきっかけにならなくなり、人々は小さな物語をつくっていく。
エヴァや幻冬舎文学のような内へと向かうものが流行したあと、木更津キャッツアイ、けいおんなど、コミュニケーションや共有を意識した作品が流行した。
そこにはドラゴンボールや聖闘士聖矢にみられるトーナメント型の社会から、
デスノートやバトルロワイヤルのように、だれもが同じ場にたたされるサヴァイブ型へと流れがあるわけだ。
終わりなき日常の中で、人は人にコミットして世界を見出せる。そういう希望があるという。
そういった大きな社会の流れから、
キャラクターとコミュニケーションについて、仮面ライダーとアイデンティティ、
昭和ノスタルジーからエロゲーとシェクシャリティの問題、
とにかくいろんなネタを論じている。
強引な部分もあるが、面白い。
確かに今の時代は何が正しくて、何が悪いか、混沌としていて不安定で、難しい時代だと思う。
だがその一方で自由度は増している。
それぞれの幸せを追求することができ、一人の世界を追求することも、共有することもたやすい。
結局は何が幸せか、それを自分で決めることが重要になってくるということか。
私もサブカルには強い方だと思うのだが、昨今の流れに違和感を感じている。
AKBやジャニーズといったアイドル、けいおんや工藤官九郎のドラマ、なんだか仲良しすぎないか? ということだ。
仲良いことはもちろん悪いことではない。
ただ、こんなに仲良いですよというアピールが過剰な気がする。
そこにはコミュニケーションを人々が求めていることによるのかもしれない。
つながっている、共有している、そういう安心感を求めているのか。
だがそれは逆に疎外されたくない、一人になりたくないという恐怖の裏返しとはいえないか。
人と人のつながりって、常時接続してないといけないのか?
1年に一回つながることが、決して少ないと思わず、自然に思えるようなこと。
いつでもつながれるという暗黙の信頼のようなものが、私には理想のコミュニケーションのように思える。
……私の社会考察はいらないか。
とにかくこの作品には膨大なコンテンツが紹介されている。
おたく文化に興味がないとなかなか理解しがたいかもしれないし、
著者の主張をそのまま受け入れることはできないが、
間違いなく”この迷走する社会でどう生きるか考えるかをきっかけ”にはなるだろう。
- 作者: 宇野常寛
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2011/09/09
- メディア: 文庫
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