キャパオーバー〜横浜トリエンナーレ2011のこと〜

横浜トリエンナーレ」に行ってきた。


三年に一度の現代アートの祭典だ。
横浜美術館日本郵船海岸倉庫を会場に絵画はもちろん巨大なオブジェやインスタレーションが展示されている。
現代アートの企画展はだいたい空いているのだが、なぜか横浜トリエンナーレはかなり集客する。
しかもカップルやファミリーが多いので一人だとかなり厳しい。ので、場所をふまえてOさんを誘ってでかけた。

今回のコンセプトは「OUR MAGIC HOUR ‐世界はどこまで知ることができるか?‐」というものだ。
目に見えないものを視覚化することが美術のひとつの役割だと思うのだが、
その意味で”存在の価値”そして”コミュニケーション”というものに迫った作品が多かった気がする。


ウィルフレド・プリエトという作家の「One」という作品。
模造ダイヤ28000000個の中に本物のダイヤモンド1個が混じっているらしい。
世界の中にいる個の存在を表しているのか、あるいは数の勝利という政治的な運動を皮肉っているのか、
価値の転倒を表現しているのか。なかなか面白い。


今回一番見たかったのが、アラーキーこと荒木経惟の「センチメンタルな旅 春の旅」だ。
愛妻との若き日の思い出から棺桶に眠る姿を撮った「冬の旅」を原美術館で見た記憶も新しい。
春の旅は妻を亡くしたアラーキーと寄り添うように暮らした愛猫チロが灰ににあるまでを撮り続けたものだ。
さらに『古希・写真』ではチロが始終眺めていた空の変化をレンズに収めたものだ。


とにかくその切なさったらない。
私小説に例えられるアラーキーの作品だが、どストレートの表現に賛否両論はある。
が、その芸術を超えた素直さには脱帽である。
なにより、チロの目の潤いや夕暮れの空の色は観ている者の心をどうしたって揺さぶる。
ずるいといえばずるい。が、撮りたかったんだから仕方ないのである。


それにしても現代アートをこうも一気に見ていると読み取る作業に疲れてくる。
プリミティブな作品も多く、そうなるとその造形自体を感じることしかできないわけだ。
全く知らない宗教儀式に迷い込んでしまったかのような、ジレンマと不安を感じるにいたる。


たぶん。そう。トリエンナーレはゆっくりと深く考えずに楽しむことをお勧めしたい。お祭りなのだから。