日本人なら〜古事記のこと〜

阿刀田 高 著 「楽しい古事記」 を読んだ。


伊勢熊野旅行へ行くにあたり、日本の神話を復習しようと読み始めたものだ。
古事記は日本人の誰もが知っているが、本当に読んだ人はほぼいないだろう。
そこで入門書の達人こと阿刀田さんの本に頼ることにしたわけである。


私の本棚を除けば、新訳聖書、旧約聖書ギリシャ神話、コーランと阿刀田さんの入門書が並んでいる。
気軽な文章で要点をわかりやすく紹介してくれる作者自身が、私には神様にみえる。


さて古事記だが、イザナギイザナミから始まり、アマテラスやスサノオとお馴染みの神様たちの活躍がつづられ、
神武天皇が生まれ、女帝推古天皇まで登場する。日本列島の誕生から人による政治が行われるまでの長い物語である。
無論、史実が正確に綴られているわけでは無い。多分に政治的要素が含まれている。歴史は勝者によって作られる、あれだ。


読み終えて、あらためて日本の神話は面白いと思った。
そもそも森羅万象、あらゆるところに神はいるという八百万の神々という思想が好きだ。自然そのもの神ととらえる感性が良い。
その柔軟性がこうしたユニークな物語を作りだしたのだろう。


日本に限らず、ギリシャ神話やヒンドゥー教など多神教の物語は一神教のものに比べて物語性がある。
性をタブーとせず、善も悪も渾然一体として受け入れるような、そんなおおらかさがあるように思える。
一種のファンタジーではあるが、どれもあまりに人間的なのである。


ただ日本の神様の多いことといったらない。
何かするたびに神様から神様が出てくる。そして名前が長い。これが覚えられない。
一方、登場するお姫さまの名前はとにかく美しい。
コノハナノサクヤビメオトタチバナヒメ、この語感の心地よさはなんだろうか。
声に出して言ってみるといい、大和言葉の響きが沁みてくる。


そして日本の神様の清潔感といったら無い。だがこれこそが日本らしさ、なのである。
穢れを嫌い、禊(みそぎ)を経て相対する仕組みは独特ではないだろうか。
潔癖だけど、すべてを受けれる日本の神々。
畏怖すべき対象ではあるはずなのだが、どこか寄り添うような存在でもある。
そんな愛すべき日本の神々の物語は本当に面白いものだ。


ナショナリズムを煽るわけではないが、日本人としてあらためて日本の神々に目を向けてみてはどうだろうか。

楽しい古事記 (角川文庫)

楽しい古事記 (角川文庫)