それは完成された形〜白洲正子と千手観音像トルソーのこと〜

白洲正子 神と仏、自然への祈り」を見た。

白洲正子生誕100年、そして世田谷美術館開館25周年記念の企画展。
白洲次郎の奥さんでお馴染み、白洲正子は確かな審美眼に基づく紀行文を多く書いている。
その中では仏像や神像、能面などに触れている。その白洲正子の感性を刺激したものを一挙に公開している。
中には秘仏も多く、これは必見といそいそとでかけたわけだ。


女性からの圧倒的支持を得ている白洲正子。お客の9割が年配の女性だった。浮いた、浮いた。
さてその展示内容だが、これが素晴らしかった。
できれば、それが本来置かれている場所で見た方が良いのだろうが、それでも物のもつ気というものを感じた。
一見見過ごしてしまいそうな仏像でも、横に紹介してある正子の文章を見ると違って見えてくる。
自分の審美眼に自信が無くなりそうだった。


今回、少し震えるくらいに感動したものがあった。
奈良・松尾寺の焼損仏像残欠(千手観音像トルソー)である。
これは焼けて胴体部分のみが残ったものだが、のっぺりとした木の固まりのような形なのだが、とてもシンボリックに見える。
人の形をしておらず、いわばミニマルアートのようだ。
だが、その気高さたるや、荘厳さたるや。
厳しい状況をくぐりぬけた末の静寂。
その姿は言葉を必要とせず、信仰というものを感じた瞬間でもあった。


他にも興味深いものが多かったが、この一体を見られただけでも来た甲斐があった。
白洲正子の感性に触れたので、私の審美眼や感性が研ぎ澄まされたはず、いや、そう願うばかりである。。。