あまりに人間的〜小説「悪人」のこと〜

吉田修一 著 「悪人」 を読んだ。


映画の公開も間近に迫り、主演の深津絵里が賞を獲ったりと何かと話題の作品である。
結論から言うと、相当に面白い。


ひとつの殺人事件が様々な人の心を揺らし、その波紋が幾つも重なって奇妙な模様を描く。
メインの登場人物はもちろん、その周囲の人間の生い立ちをも細かく書いているのだが、
それは特別な人たちではなく、自分の周りにもいるような人ばかりだ。
その設定が、この物語を身近に感じさせるようだ。


これはとても悲しい物語だ。
人と人との関係の中に生まれるささいな悪意。
その悪意の波紋が幾重にも重なり悲劇を起こす。
その悲劇に対して、人はどうすることもできないのである。
その悲しさたるや、ない。


誰の中にも悪があり、誰もが傷を負っている。
当然のことだが、そのことの虚しさを痛感した。
性善説性悪説
運命と虚無。
先には諦めしかないようなものを問いかけられたようだった。


この小説の魅力のひとつに方言がある。
物語の舞台が博多を中心としているので、言葉はすべて博多弁や長崎弁など九州の言葉である。
その素朴な言葉の響きが、この物語りの切なさを強調する。


読み終えて以来、私はもう博多弁の女性に会いたくて仕方ない。
東京生まれの男はとにかく方言に弱いものだ。
映画では深津絵里が九州弁使っているわけだが、もはや鬼に金棒である。反則に近い。


話しが逸れたが、是非読んでほしい。ページをめくる手が止まらないこと請け合いである。

悪人

悪人