妬みと欲と諦めと〜「苦役列車」のこと〜

西村賢太 著 「苦役列車」 を読んだ。

去年下半期の芥川賞受賞作なので覚えている人も多いだろう。
「きことわ」を書いた朝吹真理子と同時受賞だったのだが、こちらは芸術家一家のお嬢様の慶応学生、
そして西村氏は中卒44歳。この記者会見は笑った。
風俗行こうと思っていたら受賞の知らせが来たとのこと。
印象的なのはその眼光。


この作品は、今時珍しいタイプの私小説
日雇いの肉体労働で貧しい生活をしている十九歳の貫太。
友達も無く、無心意外では家族とも合わず、ただその日を乗り切りコップ酒を煽る。
卑屈でみじめな若者の世界が、静かだが凄惨といえるほどリアルに描かれている。


芥川賞受賞作というとだいたいガッカリすることが多いのだが、この苦役列車には参った。
エグい、エグい。
人間の業ともいうべき、妬みの醜さがこれでもかと描かれている。
どうしようもない主人公なのだが、いつしかそこの自分が重なってくる。
私の中にあるあまりに人間らしい醜さを、
「ほら、お前にもあるだろ?」と言われているような気持になる。


思えば私小説を久しぶりに読んだ気がするが、これが私小説の力かと。
これが人生を切り売りして得た呪いの力なのかと。
この小説が良いのか悪いのか、それはわからないが、揺さぶられることは確かだった。


私は”堕ちるセンス”というのがあると思っている。
19、20の頃によく考えていたことだ。
自意識の強い私は、悪に染まることもできず、かといって善に生きることもできず、
悶々としながらも、若さ特融の高慢なプライドと元来の人嫌いがピークに達していた。
堕ちたいと思っていても、私にはできない。
狡猾な小心者の私には無理だったのだ。
でもその葛藤は決して無駄ではなかった。


人間の本質というより、己の本質を問われる。
私にとってはなかなかきつい一冊だった。
良い人と言われがちな人は、一度読んでみてはどうだろうか。

苦役列車

苦役列車